埋地地区連合町内会
地区の紹介
横浜の開港や都市発展の礎となった、吉田勘兵衛による一大開発事業「吉田新田」は、今から357年前に完成しましたが、中村川と現大通り公園を南北に、根岸線と長者町通りとで東西に囲まれたこの辺りは、当時「南一つ目沼」と呼ばれ、新田内から排出される水を一時的に溜める役目の沼地でした。
新田誕生から200年後、明治6(1873)年にこの沼も埋め立てられ、「埋地七ヶ町」が誕生しました。現在の「埋地地区」は、長者町通りをはさんで隣接する山吹・富士見・山田・三吉・干歳の各町(旧称「外埋地」)までを含めたエリアの総称です。
横浜大空襲で焦土と化し、市街地接収解除後の土地返還では殿をつとめたこの地域でしたが、今や集合住宅と商業・営業系ビルが林立し、新アリーナ、大学キャンパスも造られる街となりました。
交通至便・暮らしやすいといわれてきた町々も、高齢・若年単独世帯数、外国籍居住者数の増大など生活環境の変化への対応が迫られています。
「(国籍にこだわらず)顔見知りをふやし.誰もが安心、安全に生活できる町」を目指し、日頃からの挨拶・言葉交わしの呼びかけ、またイベントによる顔を合わせる機会(餅つき大会・歩け歩け大会・埋地さろん・ラジオ体操など)づくりは、旧富士見中防災拠点」のある横浜吉田中第2グラウンド・体育館・コミハを活用して進めています。
【埋地地区の自治会町内会一覧】
埋地七ケ町連合町内会/長寿町内会/山吹町、富士見町、長者町3・4丁目連合町内会/
三吉・千歳町内会/モアレ横浜富士見町自治会/
フロール山田町第1自治会 /フロール山田町第2自治会