第4地区南部連合町内会
地区の紹介
第四地区南部連合町内会(以下、「当地区」。)の場所は、昔は漁師や船乗り達から「本牧岬」、「本牧鼻」と呼ばれていた東京湾に突き出た小半島の海岸に面したところでしたが、現在は埋立てが進み内陸部となったところです。埋立てられるまでは、北・西・南部は共に丘陵部で、ひらけていたのは海に面している東方だけでした。本牧への文化の流れは、主として海から来たと思います。
開港以降に行われた道路整備、河川整備、トンネル開通により本牧から現在の横浜中心部への往来は便利になりましたが、緑が多く自然が豊富な昔の面影は未だ残っています。今でも初めて当地区を訪れた方々は、ここが横浜市の中心かと驚かれます。
当地区の丘陵斜面に横穴古墳群跡があり、横浜市教育委員会が専門家に発掘と鑑定を依頼した結果、仏教が本牧方面に伝来する以前の、5~7世紀頃に作られたものだろうとのことでした。この頃から当地区を含む本牧に、人々は集住したと思われます。観音崎を経て入湾してくる外国船を一望できる当地区を含む本牧には多くの貿易商人が移り住み、押寄せる外国文化の受け入れ窓口となり、ハイカラ文化としての本牧文化が生まれました。当地区の年寄り達も、片言程度の英語は喋っていました。敗戦後アメリカ文化が否応なしに入ってきましたが、当地区を含む本牧はこれらを巧みに取り入れた第二の本牧文化を創ってきています。古くから、海からの文化を取り入れて発展してきた土壌があったからだと思います。
しかし当地区は丘陵を背景にしているが故に、坂道が多く高齢者やその他不便を感じている人たちにとって生活する上での大きな負担となっています。小型市営バス222系統を活用して更なる創意と工夫で、住みよい元気な街にしていく必要があります。
漁師として農民として商人として、当地区の人々は互いに助けあって生活してきた歴史を持っています。緑豊富な自然を大切に残し、全ての住民が生活しやすい地区とするための解決策を見つけ出して行く福祉活動等に当地区は力を入れています。
【第4地区南部の自治会町内会】
本牧1丁目中台町内会/本牧1丁目東町会/本牧大鳥自治会/本牧緑ケ丘町内会/
本牧二丁目南部町内会/本牧二丁目北部町内会/本郷町1丁目町内会/
本郷町2丁目町内会/本郷町3丁目第1町内会/本郷町3丁目第2町内会